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進化し続ける印伝職人 | 山本裕輔さん

プロフィール

甲府市出身 甲府市在住。
甲州印伝伝統工芸士会 会長。
中学時代に祖父、父と同じ印伝職人を目指すと決意。
高校でプログラミングを学び、さらに経営学を学ぶため大学へ進学。
「印伝の山本」に入社後、マーケティングや商品を買ってもらうための流通のしくみなどに取り組む。
2018年日本で唯一の甲州印伝 伝統工芸士(総合部門)資格保持者に。
継承と進化を遂げる
未来を彩る「山本」の甲州印伝
山本裕輔さん
山梨に400年伝わる伝統工芸、印伝。
江戸時代に始まったという、やわらかい鹿革に漆で模様付けした革工芸の灯火は、第二次世界大戦の波に飲み込まれ、いったん消えかけましたが、戦後に再び甲府で「山本商店」として製作を復活。
それが現在、甲府市朝気に佇む「印伝の山本」です。

歴史ある甲州印伝の伝統を受け継ぎつつも、新しい風を吹き込む「印伝の山本」3代目。
今最も勢いのある若き伝統工芸士、山本裕輔さんを訪ねました。

印伝を残していくために

山本裕輔さん
現在、山梨県に印伝を製作・販売する会社は4社。その中の1社である「印伝の山本」には、財布や名刺入れなど色鮮やかな甲州印伝が並びます。
馴染みのある印伝のイメージとはちょっと違うデザインや色合いが新鮮なイメージ!
美しいカラーラインナップに目が奪われます。
山本裕輔さん
店舗奥の製作工房から出迎えてくれた、山本裕輔さん。
この人こそが、伝統工芸の“今”を担う3代目。ゲームが大好きで、小さい頃の夢はゲームプログラマー、もっと小さいころは漠然と忍者かサムライに憧れていたんだとか。
そんな山本さんが印伝職人を目指したきっかけは、本当に単純なことでした。
山本裕輔さん
「中学生の頃、父がもらってきた伝統工芸士の盾を見て、“あ、これ俺も欲しい”って思ったんです。なんだろう、書体とか素直にかっこいいなって…。これもらうために、印伝職人になるんだって決めました(笑)」。

1990年代に入ると伝統産業の売上は下降し、伝統工芸品は売れず、さらに後継者不足にも悩まされるようになりました。
そんな中、すぐに技術を習得するよりももっと広い視野で学んでおくことが必要になると、山本さんは高校でプログラミングを学ぶことに。
山本裕輔さん
「ちょうどwindows98が出始めてきて、プログラミングがどんどんオモシロくなってきました。これで伝統工芸品とコラボしたら、なんか新しいことが生まれるかもって、可能性を感じはじめたんです」。

高校卒業後は、経営学を学ぶべく、県外の大学に進学。
「これからは伝統工芸を守っていくために技能だけではなく、消費者行動をきちんと考えて、買ってもらうためのマーケティングが必須だと思いました」。
山本裕輔さん
古くから受け継がれてきた地元の伝統工芸を、現代にそして未来へと残していくために20代の若者の「進化」への模索が始まりました。

「山本」がつくる印伝を!

印伝職人への道はさぞかし険しかろう…。
大学卒業後に修業を始めたとなると、かなり苦労されたのでは?と尋ねると、意外な返答がきました。
山本裕輔さん
「印伝職人にははっきりいって、誰でもなれますよ(笑)!」
「!?」
「バットの素振りと同じなんです。練習あるのみ!教えてもらうことって実はそんなになくて、自分で何回も何回も繰り返し練習して習得できるもの。手の大きさも力も動きの癖も一人ひとりみんな違うから、自分の感覚で自分が100%失敗しないやり方を見い出すしかないんです」。
山本裕輔さん
もともとプラモデルなどの細かい作業や同じことを繰り返し丹念に行うことが嫌いではなかったという山本さん。だから修業はそれほど苦ではありませんでした。
鹿革に型紙を乗せ、漆を均等にヘラで盛り付けていく作業をひたすら毎日練習。最初は小さな革からスタートし、100%失敗しなくなったら、少しずつ革を大きくする…これを約5年繰り返し、やっと一人前に。
山本裕輔さん
職人としての腕を磨く一方で、山本さんは学生時代に培ったマーケティングのノウハウを活かし、戦略的に広報を始めました。
「昔はド定番のものしかなくて、新しいものは必要とされていなかった。でも、時代が変わり、本当にいいものでも“知る人ぞ知る”のままではどんどん埋もれていく。だからまずは、知ってもらわないと!」。

県内にある印伝製作会社4社の中で、オンリーワンになる方法とは。
事業規模も考えつつ、他にはない勝負できるものは何なのか。
山本さんは考えました。
山本裕輔さん
「“印伝”ではなく、“人”を売り込もう!」
「誰が作っているのか、誰の作品なのか、それを明確にして、うちの強みにするんだ!」
これが、印伝の「山本」の誕生でした。

新たな商品づくり

『印伝という伝統工芸を受け継ぐ若き3代目…』。
これだけでも、なかなかインパクトがありキャッチー。
地元の伝統工芸の担い手として、マスコミに自らアプローチした成果もあり、各メディアが取り上げ「山本裕輔」という存在が世に出はじめたのです。
山本裕輔さん
みるみるうちに知られ、いよいよ山本さんが本当にやりたかった、新しい商品をつくるタイミングが到来。山本さんがまず手がけたのが、カラーバリエーションでした。
山本裕輔さん
「印伝にこんな色があったんだと驚かれましたね。でも本当は祖父の代から“印伝はもっと明るい色じゃなきゃ駄目だ”と言っていたんです。水色だってもう30年以上前からありましたし、昭和初期には紫色も存在していました。ただ、知られていなかっただけなんです」。

山本さんは同じ“黄色”でもウコンから蛍光オレンジまでとバリエーションを増やしていきました。
「技術を応用するだけで、様々な色展開ができる」という山本さん。現在では30色200パターンの色と柄の組み合わせが可能なんだとか。
山本裕輔さん
「価値観や趣味嗜好が多様化する中で、あらゆる感性やニーズに対応することで、はじめて自分が日々使うものとしての愛着が生まれるのだと思います」。
山本裕輔さん
型紙は1枚10万円ととても高価なもの。それにも関わらず、何回も使うと破れてしまう消耗品だから、人気の柄はなかなか長持ちしません。
それでも、オリジナルや少数でも対応するのが山本さんのポリシー。

自分が描いたイラストや子供の絵などをモチーフに、+3000円程度でキーホルダーがつくれたり!まさに世界でたったひとつのオリジナル印伝が実現可能。
伝統工芸品を自分好みにカスタマイズできるなんて、印伝=高級品というイメージも払拭されて、ぐっと身近になります。

なんと、あのとりもっちゃんの携帯ケースもありました!
山本裕輔さん

変わらぬ夢のために

「他社がやらなかったことをやる」
大好きなゲームやアニメとのコラボにも積極的に取り組み、数々のコラボ印伝を生み出したのも山本さんならではの発想と行動力の賜物。
山本裕輔さん
長年使っているというお気に入りの私物を見せてくれました。

「カムイ外伝」とのコラボ企画で、くないや手裏剣をモチーフにした柄のカードケース。もう10年愛用しているもの。
もうひとつは、通常染め上げた鹿革に漆で模様付けを行うのですが、漆で革を染め上げてコーディングするという現代では廃れてしまった技法でつくった財布。
実際に3~4年使って手に馴染み、光沢感がいいけれど、傷みが激しいのが悩みどころだとか。
山本裕輔さん
山本さんの試行錯誤から生み出されるのは、真新しいものだけでなく、古き良きものにもう一度新たな視点を加え、息を吹きかえすものも多いのです。

「日本での印伝の認知度を上げるとともに、海外からの逆輸入も果たしたい」という山本さん。ロンドンの美術館とのタイアップや昨年は台湾での販売が実現、今年はシンガポールで現地デザイナーとのコラボも進めています。
山本裕輔さん
「ヨーロッパで好まれる柄やデザインというのも、また日本と違うんです。海外は規則正しくきっちり並んでいる市松模様のようなものがよく売れたり。だから意外に花びらが散っているサクラ柄はいまひとつ。海外で販売するなら、富士山柄も規則的にデザインしたりといろんな発見があっておもしろい!」。
山本裕輔さん
「パリに行ったら、みんなヴィトンに行くでしょう。そんな感じで、日本に来たからあの印伝の人のところに行こう!ってなるような、そんなブランドにしたい」。

世界的認知度を高めるべく、印伝の「山本」はこれからも新たな作品を生み出し続けるでしょう。


ロケ地はここ!
山本さんの感性と技術が
溢れる工房兼店舗
山本裕輔さん
山本裕輔さん
印伝の山本
多彩な色彩と豊富なデザインが特徴的な「印伝の山本」。正確な伝統技術を継承できる日本で唯一の「甲州印伝 伝統工芸士(総合部門)」の資格保持者である長男の裕輔さんが、お母様と弟の法行さんとともに経営。
ゲーム会社やアニメ、マンガなどのコラボレーション企画のほか、リーズナブルにカスタマイズもでき、ここならではのアイデア商品に溢れる。
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