バル メイヤさん(56歳)
イスラエル出身 市川三郷町在住
“My Performance corporation代表取締役社長”
ヤシの木が生える芝生に一歩踏み入れると、150台以上のハーレーがズラリと並ぶ。
博物館クラスの品揃えを誇る、日本最大級のビンテージハーレー専門店「My Performance」。
昨年4月、この店を山梨県昭和町にオープンさせたMy Performance corporation代表取締役社長のバル メイヤさん。
イスラエル出身のバルさんが、なぜここ山梨でハーレーを販売するに至ったのか―。
その経緯やハーレーの魅力、山梨での生活について、お伺いしてみました。
22歳、SAMURAIに憧れ日本へ
イスラエルに生まれ、格闘技に興味を持ったのが22歳の頃。
ちょうど当時の日本は、キックボクシングや空手などの全盛期。
日本のSAMURAIに憧れたバルさんは、リュックサック1つ背負い、縁もゆかりもない日本の地に降り立ちました。
「若さかな、大したことじゃないと思った。怖いことなんか何もなかった」。
格闘技の中でも、自分に一番合っていると感じたテコンドーに励み、選手として福島や大阪の大会に出場。その後、コーチとして母国イスラエルと東京・葛飾区に道場を構えるまでになり、テコンドーを通じて日本での生活を定着させていきました。
東京とアメリカにバイクショップをオープン
テコンドーに夢中だった20代。
バイクとの出会いは…?
「テコンドーの道場へオートバイで通っていて、速く走るバイクが好きだった」というバルさん。
初めてオートバイを購入した店との縁で、バイク買取専門店を東京・江戸川と葛飾に2店舗オープンすることに。
なんと同時に、アメリカ・サンフランシスコにもレーサー専門のバイク販売店を開店し、レーシングチーム“ワールドモータースUSA”を立ち上げ、各種レースにも出場!
「あの頃はハーレーには興味なかった。どれだけ速く走れるか、それだけを考えていた」。
東京とアメリカを行き来する生活を送ること13年、ついに42歳でビンテージハーレーの魅力に気付いたバルさんは、転機を迎えます。
いつしかビンテージハーレーの虜に
「音と振動。トコトン、トコトンという馬のヒヅメのような感覚は30~90年代のハーレーにしか感じられない」。
そんなビンテージハーレーに魅了されたバルさんはバイクショップを畳み、42歳から5年の間、京都府・舞鶴の港にてハーレーの輸入・ロシアへ車の輸出に携わり、2012年に横浜にビンテージハーレー専門店「MY Performance」を新規オープン。
そして昨年4月、ここ山梨県昭和町にMY Performanceの拠点を移しました。
山梨での仕事、暮らし・・・
なぜ山梨を選んだのか? その答えはとてもシンプル。
「日本のど真ん中で、日本のヘソだと思った」。
北海道から沖縄まで全国各地から集まるMY Performanceのお客様にとって、最も立ち寄りやすい場所が日本のど真ん中、山梨だと考えたのです。
また、リュックサック1つで来日した22歳から56歳になった今、門構えがある日本家屋に住むのが、本当に心地よいと語るバルさん。
「水、自然、果物―そして人もいい」。
山梨はいい意味で時代遅れで、90年代の東京を彷彿させるヒト、生活、そしてバイクカスタムのあり方があるといいます。
東京や横浜、京都、アメリカと多方面で過ごした20~40代。
「50代に入り、スローライフが送れる山梨がちょうどいいと思った」。
スピーディーなレーサー用バイクから、景色を楽しむビンテージハーレーに・・・
時が早く流れる都会暮らしから、スローペースな山梨の暮らしへ・・・
バイクの魅力とともに、ライフスタイルも変わっていったバルさん。
30年間に10回の引越しを経験したバルさんは
「山梨は人生最後の場所だと思っている」
と、笑顔で話してくれました。
山梨の地で、これから―
「山梨は遠出しなくても、キレイな自然が楽しめる。それが何よりの魅力」。
バルさんは毎月ツーリングを開催し、全国各地のお客様と一緒に山梨の景色をハーレーに乗りながら楽しんでいます。
「これからは山梨で大規模なイベントを開催して、日本全国のライダーを集めて、キレイな山梨をたくさん見せてあげたい」。
そんな夢を描くバルさんのこれからの山梨ライフ。
ビンテージハーレーを中心にますます輪を広げ、輝き続けていくことでしょう!
My Performance corporation
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